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教員の働き方改革が始まって、何年も経ちました。
制度は確かに動いています。時間外の上限が示され、勤務時間が記録され、給与の仕組みにも手が入りました。ニュースを見ていると、現場は良くなっているように見えます。
ただ、職員室にいる人間としての実感を書きます。変わったのは、言われ方だけです。
「早く帰りなさい」と言われるようになりました。それは事実です。ところが業務量は変わっていません。
そして、ここからが本題です。そもそも、時間を減らすことが答えなのでしょうか。
教員は、けっこう前向きに残業しています。文化祭を盛り上げるのも、クラスを作り込むのも、嫌いな先生は多くありません。問題なのは、そこではない部分です。
この記事では、制度として何が変わったのかを確認し、現場で何が起きているのかを書き、最後に本当に減らすべきものは何かまで書きます。
教員の働き方改革で制度として変わったこと
まず事実の確認からです。制度は着実に動いています。ここを知らずに「何も変わっていない」と言うのは、正確ではありません。

教員の働き方改革では時間外の上限が示されました
文部科学省の指針で、時間外の在校等時間は月45時間以内、年360時間以内という上限が示されています。教育委員会が守るべき基準として告示されたものです。
青天井だった時代とは前提が変わりました。学校には勤務時間を把握する義務があり、記録が残ります。数字として見える状態になったこと自体は、大きな変化です。
運用は自治体や学校で異なります。打刻の方法も記録の扱いも同じではありません。お勤め先の実際については、校内の規程や教育委員会の通知で確認してください。
教員の働き方改革で給特法も改正されました
給与の仕組みも動きました。長らく4%だった教職調整額が、2026年1月から毎年1%ずつ引き上げられ、2031年1月に10%になります。50年ぶりの引き上げです。
あわせて、教育委員会に働き方改革の計画づくりと公表が義務づけられました。学校任せにせず、設置者にも責任を持たせる形です。
私立でも、打刻システムの導入をきっかけに、残業代がきちんと払われるようになったところがあります。制度としては、前に進んでいます。給与そのものの話は教員の年収は割に合うのかにまとめました。
教員の働き方改革で現場が変わったのは「帰りや」だけです
では現場では何が変わったのか。正直に書きます。「帰りや」と言われるようになったことです。
教員は退勤を促されるようになりました
夕方になると声がかかります。「もう帰りなさい」「早く上がって」。以前は無かった光景です。
これ自体は悪いことではありません。帰りにくい空気があった時代よりは、ずっといい。声をかけてもらえるだけで動きやすくなる人はいます。
ただ、そこで止まっています。言われるようにはなりましたが、帰れるようにはなっていません。仕事が残っているという事実は、声かけでは変わらないからです。
この変化が始まったのは、私の実感では2020年から2021年ごろです。働き方改革が広く言われるようになり、実態を整えていこうという流れができました。
教員の勤務は記録の上では改善しています
もうひとつ変わったのは、記録が残るようになったことです。何時に来て何時に出たかが数字になります。
打刻したあとも仕事を続ける人がいるのでは、と思われるかもしれません。私立では、打刻せずに働くと残業代が発生する仕組みになっているところがあるので、そこはきちんと打刻します。
ただ、記録が整うことと、仕事が減ることは別の話です。数字は改善しますが、中身は動いていません。
教員に残業が発生しにくいのは自己研鑽との境目がグレーだからです
ここは、あまり語られない部分です。そもそも教員の仕事は、どこからが残業なのかがはっきりしません。
教員の仕事と自己研鑽の線引きは誰にもできません
考えてみてください。社会科の教員が経済ニュースを見るのは、仕事でしょうか、自己研鑽でしょうか。
英語の教員が、誰かと英語で話すのはどうでしょう。研究授業に向けた勉強は。教材のために読む本は。突き詰めると、何でも自己研鑽に入ります。極端に言えば、旅行について調べることさえ、授業のネタ集めになります。
この曖昧さが、教員の労働時間をつかみにくくしています。線が引けないものは、数えられません。
教員の残業は校長命令だけという建て付けになっています
制度の側から見ると、答えはもっと単純です。教員の時間外勤務は、原則として命じられないという建て付けになっています。
給特法のもとでは、時間外勤務を命じられる業務は限定されています。実質的にそれが起きるのは、緊急の生徒対応と、緊急の保護者対応くらいです。
つまり、制度上は「残業」と呼べるものがほとんど発生しない構造になっています。実際には夜まで働いているのに、それは命令されたものではないことになる。ここが、教員の働き方をややこしくしている根っこです。
教員の働き方改革で管理職はタスクごと渡すようになりました
では、命令が消えたあと、誰が仕事を割り振っているのか。管理職です。ただし渡し方が変わりました。

管理職は時間ではなくタスクを渡します
いまの学校で、管理職が「もっと働け」と言うことはできません。それは罰される側の行為になったからです。制度が正しく機能している証拠でもあります。
代わりに何が起きているか。「3か月でこの仕事を全部やってください」という形で、タスクごと降りてくるのです。
そして、その日は「帰りなさい」と言われます。次の日も「帰りなさい」と言われます。タスク全体は渡されているので、自分で配分して解消していくしかありません。
残業が自分で選んだことのように見えてきます
この形になると、見え方が変わります。残っているのは自分の判断だということになるのです。
命令されて残っているなら、原因は外にあります。理不尽だと言えます。ところが命令が消えると、誰にも頼まれていないのに自分がやると決めてやっている、という形になります。
しんどさの置き場所が、外から内に移りました。これは、あなたの意志が弱いからではありません。時間の上限だけが決まって、仕事の総量が決まっていない。そういう構造になっているだけです。
教員の業務を減らせないのは空気があるからです
業務量が変わらない理由も、制度の側にはありません。もっと身近なところにあります。
教員の仕事は空気によって増えます
減らない業務の正体は、担任や学年主任が「必要だよね」となんとなく思っている仕事です。
たとえば学級通信。学年主任が書くのが上手な人だと、「学級通信で生徒の心を掴んでいきますよね」という空気ができます。すると、学級通信を書くという仕事が増えます。
欠席した生徒の家には必ず電話をかける、という不文律もあります。誰も命令していないのに、やらないという選択肢がない。この状態を作っているのは制度ではなく、職員室の空気です。
だから「働くな」と言われても減りません。空いた時間ができると、「あの子の家に電話をかけておいたほうがいいかな」となる。空気がある限り、時間は埋まります。
減らせた業務もあります
とはいえ、まったく減っていないわけではありません。部活動の地域移行は、進んでいる地域と進んでいない地域がありますが、昔よりは確実に前に出ています。
採点支援システムもそうです。100人、300人という単位で採点するなら、明らかに楽になります。ところが、覚えるための手間を考えて、みんなが参加しないという現象が起きます。
ここで言いたいのは、誰かを責めることではありません。変えられる範囲は、思っているより広いということです。予算がなくて仕方のない部分は確かにあります。ただ、仕方がないと言い続けても何も動きません。実態がどうであれ、自分が変えられるところを変えていくしかないというのが、私の立場です。削れる業務の判断基準は多すぎる教員の仕事の中から不要なものを考えてみたに書きました。
教員は前向きに残業しています
ここから、この記事の本題に入ります。残業を全部悪者にしてきたことが、そもそも間違いだったのではないか、という話です。

教員が嫌がっていない仕事はたくさんあります
正直に書きます。教員は、けっこう前向きに残業しています。
文化祭を盛り上げる。体育祭のアイデアを出す。クラスという自分の場所をどう作り上げるか考える。部活をどうしていくか考える。こういうことが嫌いな先生は、そんなに多くありません。
生徒のためになるという実感があるからです。時間はかかりますが、やっていて苦しいわけではない。この部分の時間を削ることに、どれだけ意味があるでしょうか。
働き方改革の議論は、ここを一緒くたにしてきました。だから「早く帰れ」と言われても、当事者の実感とかみ合わないのです。
教員が本当に苦しいのは負の側面です
では何が問題なのか。その他の負の側面です。
理不尽な保護者対応。やりたくもないし、必要性も感じない仕事に使う時間。苦しさは、ここに集中しています。
同じ1時間でも、文化祭の準備に使う1時間と、意味を感じない書類に使う1時間は、まったく別のものです。時間という単位で数えると、この違いが消えてしまいます。
だから、上限時間を決めるだけでは足りません。中身を分けないと、苦しい時間だけが残ることもあるのです。
教員の働き方改革で減らすべきは働きがいのない仕事です
以上を踏まえた結論を書きます。減らすべきなのは、時間ではありません。
働く時間は手段に過ぎません
働く時間は、目的ではなく手段です。
もうひとつ、現実的な話もあります。仕事を減らして時間ができたとして、その時間で必ずしも充実した何かができるわけではありません。教員をやっている人が、教員をやめた分だけ豊かな時間を過ごせるかというと、そう単純ではないのです。
もちろん、休むべきときは休むべきです。倒れてまで働く必要はありません。ただ、時間を減らすこと自体を目標にすると、大事なものまで一緒に削られます。
働きがいのない部分を減らすのが働き方改革です
私の考える働き方改革は、こうです。
働きがいのある部分を増やし、働きがいのない部分を減らす。
理不尽な対応に使う時間を減らす。意味を感じない書類を減らす。そのぶん、生徒と向き合う時間や、授業を良くする時間に回す。総量を減らすのではなく、中身を入れ替えるのです。
これは管理職の立場では言いにくい話だと思います。時間を減らすことが目標として掲げられている以上、「時間ではない」とは言えないからです。だから現場の人間として、ここに書いておきます。
教員の業務は必須とやったほうがいいに分けてください
最後に、明日からできる形にします。仕事を2つに分けてください。

必須業務は生命の安全と授業時間です
絶対に外せないものは、はっきりしています。
生命の安全を守ること。そして授業時間を確保すること。この2つは、どんな状況でも守らなければいけません。ここは議論の余地がありません。
そのうえで、どうやって成果を出すのかという話を、必須業務の側に入れてください。何のためにやっているのかが説明できる仕事です。
それ以外は、やったほうがいい業務です。やりたければやればいい。人によっては削っても構いません。この線引きを自分の中に持っておくと、判断が速くなります。
教員の成果は自分でKPIを決めてください
成果を出す、と言われても教員の仕事は測りにくいものです。だから、自分で基準を決めてください。
平均点30点の生徒を、いきなり70点にすることはできません。教師の力では、そこまで引き上げられないからです。それを目指すと、際限がなくなります。
そうではなく、30点の生徒を35点にする。いつも騒いでいる生徒が、少しだけ落ち着く。人を傷つけてしまう生徒が、傷つけずに済む場面を増やす。これくらい成長したから、これでいいと自分で言えることが大事です。
教員の仕事は無限です。生徒の成長に上限がないからです。やったほうがいいことは、いくらでもあります。だからこそ、どこかで自分が線を引かなければ、仕事は終わりません。頑張らない工夫については頑張っても仕事は終わらない。教員が意識すべき「頑張らない工夫」に書きました。
まとめ 教員の働き方改革で減らすべきは時間ではありません
大事なところをまとめます。
制度は動いています。時間外は月45時間・年360時間が上限として示され、教職調整額は2026年1月から毎年1%ずつ上がり、2031年1月に10%になります。教育委員会には計画の公表も義務づけられました。
一方、現場で変わったのは「帰りや」と言われるようになったことです。業務量は変わっていません。
管理職は「働け」と言えなくなりました。代わりにタスクごと渡されます。だから残業が自分で選んだことのように見える。これはあなたの意志の問題ではなく、構造の問題です。
業務が減らないのは、空気があるからです。学級通信も、欠席家庭への電話も、誰も命令していません。
そして、いちばん大事なところです。教員は前向きに残業しています。文化祭も、クラスづくりも、部活も、嫌いな先生は多くありません。苦しいのは、理不尽な対応と、意味を感じない仕事の時間です。
だから──
働きがいのある部分を増やし、働きがいのない部分を減らす。それが働き方改革だと考えています。
明日からできることは、必須業務とやったほうがいい業務を分けることです。守るのは生命の安全と授業時間。あとは、自分で決めた基準に届いたら、そこで終わりにしてください。
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