教員のスライド作りは、自己満足。やめられるのは、作れる人だけ

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教員のスライド作りは、自己満足。やめられるのは、作れる人だけ

私は、スライドを使わない日があります。

間に合っていない日。今日はめんどくさいな、と思う日。今日は文章だなと思う日。そういう日は、普通に使いません。

そう言うと、だいたい二通りの反応が返ってきます。「手を抜いてるだけでは」と「自分もスライドは作れないので安心しました」。

どちらも違います。 この記事で書きたいのは、そこの線引きです。

スライドを使わない授業の2種類。作れないから使わない=ただの未着手、作れるけど使わない=別の場所で権威性を得た人

スライドは、いつのまにか必需品になった

まず前提を疑ってください。

スライドを使うから、いい授業になるわけではありません。

いまは作れてしまうので、必需品みたいになっています。研修でも教わりますし、若い先生ほど「作れて当然」の空気の中にいます。でも、作れることと、使うべきことは別の話です。

考えるべきことは、2つしかありません。

  • そのスライドは、生徒にどんな効果を及ぼしているのか
  • その効果は、かけた時間に見合っているのか

この2つを通していないスライドは、あなたの時間を使って作った、誰のためでもない資料です。

「みんなやってるから」「作れるから」で毎回作るのは、やめたほうがいいです。

私も、最初はアニメーションに凝っていた

偉そうに書いていますが、私も通ってきた道です。

初任のころに作っていたスライドは、イラストを貼って、アニメーションを付けたものでした。パワーポイントの「変形」という機能に凝っていた時期もあります。文字がぬるっと動くやつです。

あれは、あまり意味がありませんでした。

生徒が見ているのは、動きではありません。それに気づくまで、それなりの時間を使いました。

スライドがうまいと、「この先生はできる」と思われる

ただし、あの時期が無駄だったとは思っていません。ここは正直に書きます。

スライドをうまく作れるというのは、生徒に対して、一定のブランドと権威性を発揮します。

「この先生、なんか仕事できるかもしれへん」。そう思われます。これは、教える側にとって小さくない武器です。 話を聞いてもらえる状態を作れるからです。

だから、作れるようになること自体は、私はいいと思っています。 最初に凝る時期があっていい。

問題はその先です。

やめたのは、別の場所で権威性が出せたとき

私がスライドに凝るのをやめたきっかけは、はっきりしています。

それ以外の場所で、権威性を発揮できるようになったと自分で思えたときです。

具体的には、こういうところです。

  • 授業の内容そのもの、教え方
  • 授業の評判
  • 文化祭、体育祭
  • ホームルームの運営

こちらで「この先生は信頼できる」が伝わるようになると、スライドで見せる必要がなくなります。

そして、ここが面白いところなのですが——

スライドを作らなくなると、「できるけど、してないんだな」と伝わるようになります。

一度うまいものを見せてあるので、手を抜いたとは思われません。選んでやっていない、と読まれる。 これは、最初から作れない人には絶対に作れない状態です。

自分がどこでリスペクトされているかを言葉にできていると、それ以外は手放せます。この構造は生徒に謝れる教員は、強いですに書いたことと同じです。立っている場所がはっきりしていれば、それ以外での失敗も、手抜きに見えることも、怖くなくなります。

「できないからやらない」は、選択ではない

逆の話もします。

スライドを作れないことを、やらない言い訳に使うのは良くないです。

「自分はアナログなので」「板書のほうが伝わるので」。そう言っている人の中に、単に作れないだけの人が混ざっています。

作れて、効果も知っていて、そのうえで今回は使わないと決める。 これができるのは、作れる人だけです。同じ「スライドを使わない授業」でも、中身がまったく違います。

作り方は授業・講義で使えるスライドの考え方・作り方まとめに、使うかどうかの判断は授業でスライドを用いるメリットとデメリットにまとめています。一度は作れるようになってください。話はそれからです。

図解が全てでもない

もうひとつ、よくある思い込みです。

図解にすると分かりやすい。視覚的に伝わる。それは事実です。ただ、それが全てではありません。

私は、図解だけを前に映すこともあります。生徒と同じプリントを、そのままずっと前に映しておくこともあります。それで困ったことはありません。

スライドを1枚ずつ作り込むことと、生徒が理解することは、直接つながっていません。

配っても、見返すのは上位の生徒だけ

「スライドを配れば復習に使える」。これもよく聞きます。

私は、配る用に作り直しません。情報も足しません。 配ったあとに授業で喋る内容も変わりません。

そして、配っても見返しません。

見返す生徒はいます。ただ、もともと上位の生徒です。 その子たちは、配らなくても自分で何とかします。

それより問題なのは、こちらです。

配ると、授業中にスライドを見るインセンティブが消えます。

「あとでもらえるから、今は見なくていい」。そうなります。いま集中してほしいのに、後回しにする理由をこちらから渡している。 だから私は、あまり配らないほうがいいと思っています。

スライドを作るから帰れない人へ

最後に、いちばん言いたいことです。

「スライドを作らないといけないから帰れない」。そう言う人がいます。

厳しいことを書きます。それが、あなたの限界値です。

楽しくて作っているなら、いいんです。スキルアップのためだと決めているなら、それも投資です。でも、そうではないのに、間に合っていないのにやっているなら、話は別です。

毎回スライドを作るのは、校長命令ではありません。

やるべき仕事が終わっていないのに、優先順位の低いことを先にやっている。それだけです。減らす順番については教員の不要な仕事に書きました。

ちなみに、私がスライドをやめた日、生徒の反応は変わりませんでした。 拍子抜けするくらい、何も起きません。

まとめ:好きにしていい。ただし、効果は見る

  • スライドを使うから、いい授業になるわけではありません
  • 見るべきは2つ。生徒にどんな効果があるか/その効果は時間に見合うか
  • 私も初任のころはアニメーションに凝っていました。あの時期自体は無駄ではありません
  • スライドがうまいと、生徒からの権威性になります。だから一度は作れるようになってください
  • やめられるのは、別の場所で権威性を出せるようになった人だけです。そうなると「できるけど、してない」と伝わります
  • 「できないからやらない」は選択ではありません
  • 配っても見返すのは上位の生徒だけ。むしろ授業中に見るインセンティブが消えます
  • 作るから帰れないなら、それが限界値です。校長命令ではありません

初任の先生に1つだけ言うなら、好きにしてくださいです。

そのうえで、これだけ持っていてください。スライドはKPIです。 対生徒の教育として、それがどれくらいの効果を発揮しているのか。そこを見つめられるようになってください。

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